脱サラ全裸教師

広告マンが高校野球界へ飛び込む!

広告代理店で感じた違和感

前回に引き続き、今回も広告代理店について綴りたいと思います。

↓前回記事

otane.hatenablog.com

新人が感じた”違和感”

失われた”原点”

華やかで魅力的な世界観の中でも、追われる業務に没頭するあまり、自分の「原点」を忘れてしまう人が多くいたように感じます。

また、自分もその一人であったのかもしれません。

僕は、代理店の業務自体にブラックだと感じたことはあまりありません。(この感覚が狂っている可能性はあります。)

繁忙期には会社で日の出を迎えている人も見かけたことがあります。

そういった人はたちは皆、仕事が好きで粋に感じている人が多いです。

僕の場合は、量が質を生むと思っていましたから、できることは妥協せずに積み上げるという気持ちが強かったです。

しかしチームであるのに、ある意味で個人戦のような仕事をしなければならないことは少なくありません。

業務に追われる日々に疲れてくると、すこしずつ「原点」を忘れていくのです。

「原点」=「to be」の部分で、「自分はどうなりたいのか」という心のエンジンです。

知らず知らずの間に「自分は何にやりがいを感じているのか」「何に義憤を感じるのか」といった、自分を突き動かす”心”を失っていくのです。

これまでの人生で培ってきた自分の根幹をである”心”の部分を失うことに危機感を抱きながらも、日々の業務からは逃れられないジレンマに葛藤しました。

どの業界にも共通するのかもしれませんが、聞く話によると仕事との向き合い方が特段変わっている会社である事は間違いないです。

華やかな部分とは裏腹に、地味でアナログなところにはうんざりすることが多いです。

しかし、上司にかみつくのには体力が必要です。

そんなことは面倒くさいし、現状を変えるということは覚悟がいります。

みんな、心ではいろんなことを思っていても、それを変えようとしない。

思考停止状態です。そして、原点を見失っていくのです。

”心”の通った人間同士の熱い関わりにモチベーションを感じる僕にとって、それは強く感じる現場での違和感でした。

僕が退職を決めた瞬間

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大きな会社に就職すると、配属リスクというものが存在します。

そのリスクとは、「人」にかかっています。

何をするかはそのあとの問題であって、どうにかなるものです。

しかし、そこにいる上司を選ぶことはできません。

僕が配属された、部署長は普通ではないオーラを纏っており、惹かれる部分が多くありました。

また、はじめて配属される部署長は、新人にとって大きな影響を持つと思われます。

自分の将来像を描けるだけでなく、会社人生の基礎がその人の色で作り上げられていくからです。

僕の事をとても可愛がってくださる部長で、時間があれば他の社会人では経験できないような貴重な経験をさせてくれました。

自分の背中で新人が目指すべき姿勢を示してくれていたのです。

いつか自分もこういう人になっていくんだろうな、とも思うようになりました。

しかし、配属3か月くらいが経ったある日、その部長は突然姿を消してしまい、その後二度と僕たちの前に現れることはありませんでした。

心配というよりも、「怖い」という感情の方が強かったと思います。

このころから社会人として、人としての歯車が狂い始めたのかもしれません。

ある日突然、自分の信頼する人間が姿を消す、生死も確認できないのです。

とてつもないストレスを感じました。

捜索願の写真を用意している時は、胸が張り裂けそうな思いになったことを思い出します。

その後も部長に関することは謎に包まれたまま、僕たち部員には何の説明もなく、上の人間たちはまるで部長はいなかったかのような態度なのです。

もちろん、管理職の方たちが大変な責任を負っていたことは言うまでもありません。

しかし、それは彼らの仕事であり、残された僕たち部員は蚊帳の外です。

そのショックからか、兄貴のように慕っていた先輩も会社に来なくなってしまいました。

それもとても心配でしたが、そのころには、この部署や人間たちが何か人として大事なモノをどこかへ忘れてしまったのではないかと、半ば諦めのような気持ちになっていました。

同じ部署の人間が会社へ来れなくなることへ何の心もない。そう思えることが多々あり、心配する僕の気持ちは人として何かおかしいことなのか?と自分を疑ってしまうほどでした。

この世界にいていいのか?と毎日思い悩む日が続きました。

毎日深夜遅くまで仕事をして、酒に逃げる。こんな生活が何日も続いていました。

そんなある日、新しく就任した部長の一言で僕は退職を心に決めます。

「会社に突然来なくなるようなやつはお前の人生に関係ないだろ?」

そんなことが軽々しく言えるお前の方がいらない。と思いましたが、僕は一言。

「もう部長に話す事はありません。」国交断絶をしました。

ちょうど僕が入社したころの役職をもつ上司は、思考停止おじさんが多くいました。

「俺たちのころは」「昔は」「当時は」

これらは、労害の3大ワードです。

彼らは、過去の栄光や実績に過信し、現状を顧みない、未来に無関心な人たちです。

新しく就任した部長はその典型でした。

急な就任で大変な思いをされていることは百も承知です。

しかし、”人”として失ってはいけない”心”を失くしてしまっていました。

そんな中でジレンマと闘うことに全く価値を見出す事ができず、見切りを付けました。

多くの学びと、素敵な人間を多く見てきた一方で、現場レベルでは、自分の大切にしてきた”心”の部分で大きな違和感を感じました。

自分では左右できないことに悩んでいる時間はもったいない。

自分らしく熱い人生が送れる人、仕事を見つけ、充実した人間らしい生活をすることが納得のいく人生だと気づきました。

カネ、名誉、見栄、そんなものはちっぽけな話。

本当に大切にしなくてはけないこと、人として持ち続けなければならない価値観を再確認できた一年でした。

結局、自分の身に起こる全ての事には感謝しかないのです。

 

↓広告代理店の給料や残業などまとめています。

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